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著書「美しい国へ」から安倍晋三語録

第七章 教育の再生

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映画「三丁目の夕日」が描いたもの

日本の映画賞を総なめにした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を観た。舞台となるのは昭和33年、建設中の東京タワーのそばの下町だ。みんなが貧しいが、地域の人々はあたたかいつながりのなかで、豊かさを手に入れる夢を抱いて生きていく様子が描かれる。

昭和三十三年といえば、テレビでアメリカのホームドラマ「パパは何でも知っている」が放映されていた年である。翌年には「ビーバーちゃん」や「うちのママは世界一」が放映された。わたしもそれらを見て、アメリカの家庭の豊かさに圧倒された一人だった。

広い家と広い庭。室内には電化製品がたくさんあり、冷蔵庫の中にはいつもミルクびんやジュースが入っていて、子どもごころに、「ああ、日本も早くこんな国になればいいなあ」と思ったものだ。

映画の主人公の一家も、テレビが入り、木の冷蔵庫が電気冷蔵庫に変わり・・・・・・物質的な豊かさがつぎつぎと実現していく。ところが、映画は後半、それと矛盾するように、お金では買えないものの素晴らしさを描いていく。

売れない小説家の茶川竜之介が、なけなしのお金でプロポーズの指輪を買おうとするのだが、そのお金で少年に万年筆を買ってしまったため、指輪の箱しか買えなかった。「いつか買うから」といってカラの箱を贈られた女性ヒロミは、箱をあけ、「指輪をつけて」という。そして箱からとりだした見えない指輪を薬指にはめてもらい、静かに涙を流した。

それは彼女にとって、ティファニーやカルティエの指輪に勝るとも劣らぬプレゼントだった――。

東京タワーが戦後復興と物質的豊かさの象徴だとすれば、まぼろしの指輪はお金で買えない価値の象徴である。

この映画は、昭和三十三年という時代を記憶している人たちだけではなく、そんな時代を知るはずのない若い人たちにも絶賛された。いまの時代に忘れられがちな家族の情愛や、人と人とのあたたかいつながりが、世代を超え、時代を超えて見るものに訴えかけてきたからだった。

「お金以外のもの」のために戦った野球チーム

2006年3月、野球の国別対抗「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)は、多くの日本人をテレビにくぎづけにさせた。決勝戦のときは、たまたま打ち合わせの最中だったが、さすがに私も気になって、ちらちらテレビを見やっていた。九回の裏、キューバ選手のバットが、大塚晶則投手のスライダーに空を切った瞬間には、思わず「よしっ」と声がでてしまった。

チームを率いた王貞治監督は、優勝祝賀会で頭からシャンパンを浴びながら、
「みんなで日の丸を背負って戦って最高の結果を出せた。日本の野球のすごさをわかってもらえたんですから、監督としてこんなうれしいことはない」
と、満面の笑みだった。

マリナーズで十億円を超える年俸をもらうというイチロー選手は、試合後のインタビューで「世界一を決める大会だから、参加した。シーズンのこととかはまったく考えていない」といった。そして、「僕の野球人生においてもっとも大きな日。すばらしい仲間といっしょにプレーできて嬉しい・・・・・・ファンの注目度や選手のモチベーションを考えると、すばらしい大会だった」と。

同じ日、敗北を喫したキューバの監督が記者会見で、「優勝に値するチームだ」と日本チームをほめたたえたあと、たしかこんなことをいっていた。

「お金のためではなく、自分の国のために戦うことがどれほど素晴らしいかがわかった大会だった」

社会主義国のキューバでは、選手も監督も公務員である。だから当然といえば当然だが、そのラテン特有の明るい語り口には、自分たちのモチベーションが理解されたという誇らしさがにじみでていた。

再チャレンジの可能な社会へ

わたしたちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化をもつ国だ。そして、まだまだ大いなる可能性を秘めている。この可能性を引きだすことができるのは、わたしたちの勇気と英知と努力だと思う。日本人であることを卑下するより、誇りに思い、未来を切り拓くために汗を流すべきではないだろうか。

日本の欠点を語ることに生きがいを求めるのではなく、日本の明日のために何をなすべきかを語り合おうではないか。

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